【シリーズ:イメージリンク版 令和のいろはカルタ その零 「これからね全てが始まる楽しいよ!」】
お久しぶりです。そしてお待たせしました!
新しい年が始って「心機一転」のため暗中模索して新しいシリーズを考案していたところ、正月行事から連想して「『いろはカルタ』を作ってみよう!」という結果に行き着き、この一月の間あれこれと思案していました。
これまでのシリーズと同様にテーマが決まってから着手していたのではどうしてもしりつぼみになりがちなので、逆転の発想から「全てを作り上げてから適宜発表すればいいんだ」とひらめきいてから没頭していたのです。肉に骨を入れるのではなく、しっかりと骨組みを組んでから必要な所に必要なだけ肉付けをする。
ただ、「言うは易し」ということも確かにあって、順調に作業が進んだ点と難航点がありました。それでもなんとか「いろは四十七文字」プラス二文字分(後述)の合計49組を選び出すことができたのは、方針を予め固めていたことが功を奏したのだと思っています。そうですね。単なる思いつきの延長では、長丁場となる仕事を続けることは難しいでしょうからね。
それはともかく、これから始まる「令和のいろは」について語らせていただくことにしましょう。
≪言葉は知恵の結晶である≫
私たちの社会は言葉に満ち溢れています。筆書きから始まった文字の文化は活字に変化し、紙の上だけでなくブラウン管、そして今や液晶へと進化しました。それどころかレーザー光線というハイテクの塊を駆使して空間にまで進出するという発展を遂げるまでになっています。
ラジオやテレビからは音楽や情報が途切れることなく流れ続け、駅やバス停でも文字を使って運行状況を簡単に手に入れられる。ポケットの中のスマホで簡単に知りたい情報を得ることもできる。ネット環境が整えばさまざまな周辺機器を駆使してコンピュータでもっといろんなことができる。今さらですが、本当にいい世の中になりましたよ。
しかし、技術は一朝一夕で築き上げられたわけではありません。先人たちの労苦の上に私たち現代人の努力を足して今の社会があるのですから。こういう指摘されなければ気づきづらい事実を忘れないように心がけたいものですね。
「いろはカルタ」はそういう意味では、先人が後世の人たちの役に立つように編んだ、胸を打つ言葉の集まりのように思えてくるのです。
「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為(うい)の奥山 今日越えて、浅き夢見し酔(ゑ)ひもせず」
ただ単に文字の流れだけを見るのなら、現代の人間にとっては分かりやすいのは後半に入ってからになるでしょうか。また現代の言葉遣いとはやや趣きが異なる点もあるので、重複する韻が余計だと感じることもあるかもしれませんね。
中学や高校で古文や和歌を授業で習った際に、表記が古代と現代とで異なることに辟易してこういう勉強を敬遠する人間がいるのも事実ですね。しかし、発音に関して考えてみると明治に始まった「言文一致運動」より前の時代の方が豊かだったとさえ思えてくるのは不思議なことです。「今日」は「けふ」ですが、「ワ行」の員も確かに母音を司る「ア行」とは違って聴こえてくるかのような…。慎重に言葉を選んだが故の抜群の効果であるのは確かに「知恵ありき」ということでしょう。
また、日本語には「ん」で始まる言葉は無いので(外国語には地名等を含めて若干あるもののやはり少数派)、それに代えて一般的に「京」という言葉が選ばれていますが、これは同じく正月遊びの代表格である「双六」の「あがり」と絡めているようで、こちらも興味深く思えてくるのです。これも思慮のなせる技でしょう。
このように子ども向けの遊びではあるものの、多くのメッセージをさりげなく込めているのは簡単なことではなかったはずですよね。古臭い事柄だ、と切り捨てるのは簡単なことではあります。けれど、人間の「生きる」という本質については基本的に古代・中世・近世も現代も変わりはないのです。「古いけれどまた新しい」。カルタの読み札の句一つであっても、金言として価値は確かにあるのです。今回のシリーズでは一つの語句ごとにもそれについて言及することもテーマの一つとします。
このように「言の葉」は多くの示唆性に富んでいるのですね。『聖典』をはじめとして、現実にこの世に存在していた先人たちの生きた証しがこれらの言葉の集まりなのです。多くの「古典文学」も、話芸の集大成である「落語」も選び抜かれた言葉で成り立っているのですからね。
「いろはカルタ」を卒業すれば次は「百人一首」。逆にそれまでの絵札が読み札となり、取り札が字札となります。記憶力と反射神経が重要な要素ではありますが、これも文字の文化を大いに表わしているでしょう。
現代の電子化した情報としての文字をも含めて、自分以外の人物にメッセージを伝える方法を考えてくれた偉大なる叡智に尊敬して敬意を表しましょう。それが理解できるのならより一層身近なものになりますからね。
≪たのしいエンサイクロペディアとしての「いらすとや」≫
ここからは今回、本来は「絵札」として登場させたかった数々のイラストについての言及となります。
今回の一連の作業に関しては、「読み札」に相当する文章自体の作成は、実は一日で下書きは終わっていたのです。「それならなぜ一月も?」という疑問も当然抱かれたでしょうね。もちろん手を抜いていたわけではありません。しかし、時間が予想より大きく要してしまったのは「絵札」に相当する画像選びに難航していたからなのです。
本来はこういう裏事情を明かすことは色々と好ましいことではないのですが、一貫して一定以上の絵の質を保ち、かつ誰にでも受け入れられるという条件を制約だらけのネットの世界で選定することは「予想以上に難しかった」、ということをご理解していただくために恥を承知でキーを叩きました。
幸い、厳し過ぎるこれらの条件をクリアできる心強い味方がいました。そうですね。皆さまご存知の「いらすとや」です。
誰もが親しみを持てる、あの暖かくて柔らかな絵柄は多くの人が認めていますよね。そして一番の強みは、意外性を持ちながらも実に多種多様な内容を含んでいるので、楽しみながら好みの画像を選ぶことができますし。これはまさしく絵の百科事典。もちろん無条件で利用できるわけではないのですが、慎重に作業を続けると使用したくなるものを見つけることができるのは本当にありがたいのです。おかげでなんとか今回のシリーズの分を埋めることができました。
敢えて難点を挙げるとすれば、特定の語句を検索にいれても意外にヒットする項目が少ない、ということでしょうか。これも工夫次第でクリアすることもできるでしょう。現実的なやり方としては、ネットサーフィンをするごとに稀に目にするイラストなどを忘れずにメモして、連想ゲームのようにいろいろと試して活用する、というのも意外に役には立ちましたが…。
役立てる手法というのは人それぞれ。ですのでここいらでやめておきますが、この有益なサイトはたった一人の人物が運営されているのは驚きですよね。今や私たちの日本だけでなく世界が認めつつある「いらすとや」。主宰されている、みふねたかしさんに賞賛の声を贈らせていただきますね。本当にありがとうございます。今でこそ発表のスピードは落ち着いたものになっていますが、それでも黙々と続けられていることは驚異とすら感じさせられるのです。これからもよろしくお願いしますよ!
≪生きている言葉としてのいろはカルタ≫
この日本はともすれば小さく感じられますが、なかなかどうして本当は広いのですよ。その証拠として、日本の東西は多くの点で富山から静岡の付近を縦に結ぶ南北のラインで明確に区別することができるのですから。物差しの尺度から食文化、文物、方言、風習…。新しいところでは電気の周波数などを挙げることができるのですが、このように東西の差異は今日においても色濃く残されているので、こういう所にも言及すれば多くの人がより一層興味を抱いてくれるでしょう。楽しい記事にしますから。
言葉遊びの代表たる「いろはカルタ」の読み札の分も、東の江戸と西の上方では同じ語句となっているものは少なく、さらに同じ上方でも大坂と京でも微妙に異なっているのもその証拠となるでしょう。
同じ「い」でも「犬も歩けば棒に当たる」と「一を聞いて十を知る」というようにそれぞれを象徴する語句が全く違うのも地域差が出ていて面白く感じるのですね。
今回のシリーズでは各地のものを紹介することは特には含みませんが、伝統的なものと自作した「令和版」(イメージリンク(IML))とを並べてみて、時代の流れなどを感じていただけたら幸いです。
このシリーズを楽しんでいただくと同時に、私たちIMLのことをもっと知っていただきたいですね。どうかよろしく。
≪注意していただきたいこと≫
ここからは注意事項となります。今回のシリーズは「いろは四十七文字」を基にして全て新しく自作したものです。警句を含んでいるという性質上、伝統的な成句と重なる部分があるかもしれませんが、仮にそうであったとしても決して意図的に行ったものではない、ということを明記させていただきます。そして著作権も当然存在しますので、その点をご理解ください。
それから次回から始まる文章の登場順も、「五十音」や「いろは」に準拠とはなりません。これはカルタの読み札がランダムに詠み上げられるのと同様なのと、作成者側の好みということもありますので。「次は何だろうな…」というように考えていただけたらうれしいですね。
「これからね 全てが始まる 楽しいよ!」
今回は新しいシリーズの紹介を兼ねていますので、上の語句はシリーズには含めず、当然別に用意してある「こ」の分とも違いますが、始まりの句として載せてみました。別カウントでお願いしますね。
日本人はその調子の良さから「五七調」で物事を語る傾向が多いのですが、敢えて本シリーズは口調の統一は行いませんでした。その方がメリハリが効くと思ったのも理由です。
さあ、こういう調子でどんどん進めて行きます!どうか、よろしく!