【シリーズ:イメージリンク版 令和のいろはカルタ その弐 「日本一大きく育てて世界一」】
◆読み札:にっぽんいちおおきくそだててせかいいち
◆伝統的ないろはカルタ:にくまれっこよにはばかる
日本が低迷期に入って随分経ちました。かつて世界を席巻した「メイド・イン・ジャパン」の神話も揺らいで、今や新興の工業国の進出攻勢に押されてまくっていますよね。昭和最末期から平成の最初期にかけて、狂乱だったとさえ言えるくらいの好景気が教訓的に取り沙汰されているのは、見方を変えれば、「日本がより熟成した」のだと思えるのですけれども…。
製造業が発展して、サービス業もそれに伴う。これは日本の戦後のモデルそのものでした。19世紀の末からこの地球上を支配していたのは、ヨーロッパの列強でしたが、当時の日本は四辺を海に護られたちっぽけな島国に過ぎなかったので、武力を背景にされて屈した開国以来、日本を時局に応じて変化せた原動力は「恐怖」であったことは間違いありません。「力こそ全てである」。その不当な圧力を強いられる側にとっては不条理でしかないこの暴力も、「勝者の原理」であり、第二次世界大戦は言うまでもなく冷戦の終結までは第三世界を中心にまかり通っていたのですから(紛争地域の多くは今でも尾を引いているのが悲しい現実でもある)。
敗戦により一度は国土の主要部分が灰燼に帰した元・帝国が軍需から民需へとその姿を変えて、再び世界の檜舞台へ戻ってきたのはある種の奇跡だとも思えます。
それでも当時の日本人の根底にあったのは「恐怖」であったことは変わりはありませんでしたが。国土の分裂という最悪の状況は回避できたものの、敗戦からしばらくの間は飢餓が深刻な問題であり、戦前の生活水準をなんとか取り戻したのは主権の回復の頃でした。
複雑な当時の社会情勢を国民の努力とそれ以上の幸運にも見舞われ、日本は満身創痍の状態から一歩ずつ着実に今の社会の形に歩めたのは正しい選択でした。「不幸を他者に及ばさない」という決意は国民に行き渡り、国是として全世界に高らかに宣言したのは先の戦争を実際に体験された方たちの涙ぐましい努力の成果でした。
もちろんそこへ至るまでには並大抵の努力ではありませんでした。競争また競争。これも恐怖の連鎖によるものでしたが。元々日本人は勤勉であり、「豊かになりたい」という総意が築かれると一意専心してその方向へ舵取りをしました。その結果…。日本は「明治百年」の頃に世界第2位の経済大国となることができました。
一人の人間にとって20年の歳月は短いものではありません。けれどそれだけの短期間で貧困を脱して世界に繁栄を誇れるまで成長できたのは大きな奇跡でした(もちろん国民全員がその恩恵に与れたわけではなく、負の部分はむしろ拡大したが)。
ネガティブな面だけを紹介するのは本意に背きますので、これからは功績の法を取り上げますが、光の当たらない部分のことも忘れない勇気を持つ努力も怠らないでいただきたいのです。
経済成長でもっとも目に入りやすい分野は建築物や交通手段です。それから財貨とサービス。日本の高度経済成長で取り上げられるのはまずはテレビを筆頭にした家庭用電気製品。自動車。ジェット旅客機。コンピュータ。それに1964年(昭和三九)の「東京五輪」、東海道新幹線、超高層ビル、70年(四五)の「大阪万博」といったものがそのラインアップに含まれるのは間違いありませんね。
今回の「絵札」にそれらを選ばなかったのにも当然理由があるのです。そう、日本は島国であり、世界と手を結ぶには船舶が欠かせない重要な要素であるにもかかわらず、日本人は海事ということに対する関心が見受けられないことに対する警鐘、というのが主な理由なのです。「造船世界一」の座を他国に奪われて以来、その誇りは積極的に語られることはまず無くなりました。しかし現在でも日本は世界のベストスリーに座を占めているので、潜在的な能力はトップ奪還を十分狙い得ると言えるでしょう。
先に述べた明治百年の少し前に日本は当時世界一のマンモスタンカーを建造して、その技術力を大いに示すことができました。何事も制約が課されない限りジャンボ化が推進される現代社会では特筆されることはなくなったものの、産油国が中東に集中してヨーロッパに経由する際に「スエズ運河に頼らない」という石油タンカーの大型化の先鞭となったのは大きな功績でした(この後に中東で起こった騒乱が「石油危機」の原因になったのは周知の事実である)。
戦前の世界第3位の海軍国の伝統は、軍服を脱いだ形でこういう平和目的の技術に活かされた、ということも戦後の日本が良い方向へ変化した象徴でもあるのですからね。
捲土重来の造船、ひいては多くの分野で世界の王座に君臨していた製造業の復活を期してこの絵札を選んだのです。
「日本一大きく育てて世界一」
これが実行できれば、閉塞感漂う「令和・日本」にも風穴が開き、善き風が吹いてくれるはずです。さあ、国民全てが手を取り合って世界一へ再び挑もうではありませんか!
さて、これからは伝統的な「憎まれっ子世に憚る」となります。日本経済が好調で発展途上にある国々に盛んに進出していたころ、世界の多くの人々が私たちの本意ではない呼び方を口にしていたことはご存知でしょうか?
「エコノミックアニマル」という…。今日ではそれが必ずしも蔑称ではない、という解釈もされているようですが。しかし、気分の良いことではありません。私たち日本人からすれば誤解を含む呼称も、言い換えればそれだけ積極的に現地で活動していた証拠ではあるのですがね。ともかく荒廃した国土の再建のために貴重な外貨を稼ぐために、がむしゃらに働き続けて、結果として既成のビジネスを踏みにじった姿が反感を買ってしまったようです。「ニホンはズルイ!」。そういう冷ややかな目で見られながらも、日本は見事それまでの方針から脱却して、世界でも有数の豊かな国になることができました。
大きな成功は他者の妬みを買いやすいもの。これは確かです。けれどね。他者の成功の裏にはその当人が流した汗にまで思いが及ぶことは案外少ないようですね。実際、多くの国が日本の経済成長を手本として自国でも実践しようとしてきました。それが功を奏した国や地域もあります。しかし、その意に反して近代化に成功した国は多くはないのが現実なのです。
多くの問題を抱えてきても私たち日本人は新しい社会を作ることに成功しました。これは日本以外からすれば「世に憚る」以外の何物でもないことでしょうか。嫌われるのはさみしいことです。けれど、人間という生き物は基本的に他者のを褒めたたえるということはしないもの。こういう点もそれはそれともっと割り切りましょうよ。自分は自分。
「嫌われる勇気と気概も時には必要なのだ」。これを自覚できてかつ自立できれば人間的に大きく成長した証拠となるのですから。
◆通話表:日本の「に」(にっぽんの、に)
日本の中にいれば、それが当たり前になり、かえって外の様子が気になるもの。そして一旦外へ出ればその良さに気づくもの。
日本人には個性が無い。いやいや、それは団体行動をする際の話ですね。もし個性が無いのなら「カイゼン」(改善)というものづくりの本質は生まれなかったはず。ヒントを手にしたならより善きものへ。この美点があり続ける限り、これからも私たち日本人は変わらずに生きて行けるのです。もっと自信を持ち、誇りに思いましょう。素晴らしきかな、ニッポン!とね。
「逆境が 進歩の基(もとい) 日本人」
◆「ん」尽くし:人間(にんげん)
「人間は 環境により 変化する」
多くの点で公衆道徳が荒んできたと思えます。これは財政状態にもよるところが大きいでしょう。日本の強みであった終身雇用が崩れてから社会全体の購買力が落ち、収入格差は大きくなるばかりです。「自由」という言葉は魅力に溢れていて誰もが好むものです。それを逆手に取って社会的立場の高い人間がそれを弱者に強要することで「モラル」は著しく低下するようになったのが今の日本の偽らざる姿となっているのです。安心して仕事ができないのなら、士気は上がりはしないのです。これは企業の業績にも直結し、出口の見えない袋小路に陥ってしまった。目先だけの小金に飛びついて結果としての大損となってしまった。
企業の経営者たちだけの責任ではもちろんありませんが、下に付く人たちを善き方向性に導くのも上に立つ人の大きな責務であることを放棄したのでは当然の結末だと言えるのですが。下で働く人たちも不平不満を抱くだけでなく、生かされていることにまず気づくべきでは。
人はそれぞれが主人公ではあります。それを声高に叫ぶだけでは物事はスムーズには進みません。譲り合える点はそこは自覚しましょうよ。それが大人のやり方ですので。
そして人間は環境に左右される生き物でもあります。生まれた時は真っ白でも、知恵がつくたびに染められゆく。経験もそう。他者まかせにしては良い色となることはできず、自分の努力で見事な綾錦とすることを忘れてはいけません。もちろん、その個人の資質を見抜いて十分にそれを活かせる社会であって欲しいのです。これは無理な注文ではあります。それを踏まえた上で声を上げさせてもらいました。これは万人の抱く総意でもあるのですから。より良き環境になりますように。
◆今日のひとこと:
「日本一で満足するな! まだまだ先は長いのだ」
日本を支えてきた製造業が復活すれば明るい陽が一筋で差し込んで来たと思えるはずです。コストという最大の問題でこの日本の産業構造は空洞化して、多くの問題が一気に噴き出しました。それが現在の姿になっています。でも日本の最大の強みは勤勉性ということ。ものづくりの基本はまだまだ失われてはいないのです。コストは世界経済の流れでいかようにも変わるのですから。新興の工業国が一気に失速したのは珍しくないこと。大丈夫ですよ。戦後から幾度もこの日本も思わぬ出来事に見舞われ、その都度より強くなってきたのですからね。
願うだけでなく、引き締めの言葉も。世界に終着点は無いので、挑戦はこれからもずっと続くということを忘れてはいけませんよ。