利用者ブログ - 10.21シリーズ:神戸と兵庫のご当地ソングたち


日本各地には観光名所がたくさんありますね。それに因んだ「ご当地ソング」がどの土地にも必ず一つはある、と言って良いほど作られています。
私たちの神戸も日本を代表する商港を持ち、エキゾチックな街並みを誇る観光地でもあるのです。
そこで今回からは兵庫と神戸を皮切りに、有名なご当地ソングも紹介させていただくことにしました。
記念すべき第1回目は『港が見える丘』です。意外なお話も盛り込んでいますので、お楽しみください。


≪東西の貿易港を繋ぐ歌の効果≫


この曲が必ずしも「横浜」の港を歌っているのではない、と教えられた時は少なからぬ驚きでした。そして私たちの神戸の歌であるということも。本当に意外でした。
物事には二つ以上の存在を比較することが多いですね。日本を代表する港としては「東の横浜、西の神戸」というように。日本は東西南北に長く位置を占めているので昔から東西の比較が行われました。その両方が曲のイメージとして有力な候補だというのも面白いことです。
この神戸の港を眺める絶好の場所としては、六甲山(特に最高峰)、金星台、神戸市役所の展望ロビー、MOZAIC周辺が挙げられますよね。けれどこの神戸の街並みの美しさは借景としての山の緑の稜線も含まれるので、その両方を一度に楽しめる箇所としては「北公園」(ポートアイランド)が一番ではないでしょうか。



大型の旅客船が接岸する第4突堤にほど近く、神戸一の繁華街である三宮周辺のビルの風景も一度に見ることができる人気のスポットとなっています。特に夜景は素晴らしく、客船や帆船が入港した時にはそれを目当てにしたカメラマンやカップルが多く訪れて至福の時を過ごすことでも知られているのです。


片や横浜の方はマリンタワー(休館中)、氷川丸、中華街、山下公園、大桟橋、ベイブリジッジ。近年ではみなとみらい21等々が横浜港を彩る名所として挙げられます。いずれも有名ですよね。でもイメージとしての一番は「港の見える丘公園」ではないでしょうか。もちろんこの有名な曲に因んだ命名であることに説明は不要ですが。1960年代の始め頃に開園した当時としては地名や地区名を含まない命名は珍しいことで、このことも公園を有名にした理由でもあります。
しかし微妙な点も。わずか1字ですが異なっていますよね。まるまま使用すると複雑な権利関係が生じるようで、こういう表記に落ち着いたというのかもしれませんね。歯切れの悪い形で申し訳ないのですが、それはともかくこの公園からの眺めはとても高く評価されていて、港町・横浜を代表するビューポイントであることは間違いありません。私たちの神戸も山の付近からの眺めの良さが定評なので、こういう点でも共通しているのでしょう。しかしその眺望の良さも、高層化する都市の現実に襲われ、視界が徐々に狭められているのは惜しいことです。山手ですので、場所によれば近くの観光名所でも見辛いというのも意外な盲点だと言えるでしょう。

このように有名な場所でも意外な出会いがあるのも面白いことですので、機会があれば足を伸ばしてみたいものですね。


≪実は特定の場所を指しているわけではない名曲≫


私たちはイメージを抱きながら生きているという側面を持ち合わせています。神戸や横浜に関するイメージはここまで書いた通りですよね。そして今回紹介させていただいた『港が見える丘』を象徴する場所は多くの人が横浜を連想することでしょう。
しかしこの曲には具体的な地名は一切出て来ないのです。作詞と作曲は同じ人物で、神戸の出身であることから神戸の歌でもある、といことも書かせていただいています。つまりは小高い山や岡を近くに持つ港町ならどこでも該当するということになりますよね。函館や長崎も。戦後の引き揚げで知られる舞鶴も、条件には合致するのです。字面合わせという視点では日本全国の港を歌った名曲だとも言えるのですね。


しかし、甘い別れと追憶…という曲の流れに沿えば必然的に大きな港での出来事の回想では、華やかで大きな港町ということになるのでしょう。曲が発表されたのは1947年(昭和二二)。空襲こそ無くなったもののまだまだ戦後の混乱が続いていた時代でした。海外からの引き揚げ組を含めて、港は生き別れた人との再会を果たす重要な場所でもあったのです。けれども「再会」につながる文言も含まれてはいない。つまりは生死すらも判明しない人を待ち侘びる、という意味も遠回しにこの歌には含まれているのですね。だからこそ、思い出の場所での思い出の情景が…。戦争で疲れて傷ついた人たちの心を、このスローで情感溢れる歌声は癒してくれました。そして大ヒットしたのです。



運良く再会できた人たちは生の喜びを、不幸にして命を落としてしまった人に対しては善かった時代とその善き思い出を抱いて。確かに歌は時代を動かす大きな力を持っていますよね。そして時代に選ばれた曲だからこそ、語り継がれて生命が吹き込まれるということも。
場所を特定しないがゆえの、ご当地ソングというのも趣があると言えます。その代表として『港が見える丘』を紹介させていただきました。


≪新しい港と街のあり方は≫


文化が進めば人々の生き方も変わります。道路網が整備され、離れていた島と直接橋やトンネルで結ばれると、そことを繋いでいたフェリーや連絡船は姿を消し、旅客の姿は見られなくなりました。私たちの神戸も例外ではなく行き交う人たちで賑わった中突堤の周辺は色褪せ、流通の形態が大きく変わった各々の突堤に入る貨物船も本当に少なくなったのです。コンテナの取扱いも減り、港で元気に働いている人も減っているのです。
活気を知っている者として本当に寂しいとしか言いようが。ありません。



それでも街は生きているのです。歌の文句になるような情景は遠くなりましたが、また別な容で再生することでしょう。その証拠に殺風景だった、機能一点張りな学人の風景も、明るくおシャレな新しい施設で彩られることが多くなっていますしね。
新しい時代には新しい音楽を。その発信源がこのKOBEであり続けることを信じて、楽しく日々を過ごすことにしましょう!