利用者ブログ - 10.21シリーズ:神戸と兵庫のご当地ソングたち


違和感を持たれるかもしれませんが、それでもこれは神戸の名曲なのです。
唐突な書き方から始まりました。申し訳ないですがしばらくの間お付き合いをお願いしますね。

≪歌と何だろうか≫

演歌の命は、ずばり歌詞にあります。人間の情念を様々に彩って歌い上げる。そこには激しい喜怒哀楽が…。
そうですね。明るいだけが人生なのではない。それを歌詞をかみ砕いて、絶妙のメロディと節回しで人の心を歌い切る。
それが演歌の世界なのです。

今回の曲は神戸のご当地ソング
としては正直付け足し感が否めなところも。しかし名高い歌手の定番ソングでもありますので、広い心でお聞きいただきたいのです。

≪裏側を知ることで見えてくる歌詞を考えたい≫

先に書いておきますが曲の発表は1971年(昭和四六)。今や歌謡界の最長老となった大物歌手の2曲目のシングル曲でした。一枚目は同じ年に販売された、私たちの神戸の永遠のライバルである、東の大きな港町をテーマにした曲で、この時代を代表する大ヒット曲となっています。
曲の内容としては…。ご当地ソングに欠かせない地名の登場は限定的です。しかも大きな港町が目立つ。語句も平凡で1番から3番まで、一定のテーマとリズムで構成されていると言う感じでの。これはまあ、演歌特有のスタイルの曲でしょうね。
しかしこの曲には大きな使命が課せられていたと思いますから、成功への王道であるシリーズ化が図られたという点も考慮すべきでしょうか。こう考えれば曲が作られた経緯と時代背景が見えてくると思うのですけど…。

誰にも差はありますが下積み時代というものがあります。それはこの曲を歌った大物も例外ではありませんでした。何度目かの再デビュー。前の曲が大ヒットしたお蔭で彼は念願のスターへの仲間入りが果たせたのでした。本当に長かったと思います。艱難辛苦に耐えてようやく報われた喜びは大きかったでしょう。けれども以降のヒットに恵まれず、一曲だけに終わって忘れ去られた歌手はそれこそ数え切れないほどいるのです。
下積みが長かった分だけ業界の知られたくない面も彼は知り尽くしていたはずですよね。「一作だけではダメなんだよ」。案外人間はなまじっかな成功では不幸を招くだけのなのかもしれません。それは飢え切った野獣が満腹感に馴れてしまって野性味を喪うのに似ているのかも。



小金が入るようになり、それまでの緊縮財政から解き放たれると世には多くの誘惑があるので堕落しない方が難しいとさえ言えるでしょうか。酒、ギャンブル、派手な遊び、魅力的な異性、無縁と思われていた層の人たちとの交流。それに疎遠になった旧友たちや見知らぬ縁者たちが訪れるようになり、それだけ派手に金やモノが動くようになる。
志が高くて意志の強い人間なら心配は無用でしょう。しかしこの世界は未だ厳しい徒弟関係に始まる、上下の格差が大き過ぎる階級社会でもあるのです。上の人間の意向には逆らい難い風潮は残されていて、ぽっと出くらいでは発言力はとても小さいのです。
誘惑に負けて本分を疎かにする。世の中の人は皆それなりに苦労を重ねているので、人気に溺れる小者を見抜くなんて造作もないこと。このようにせっかく伸びかけた芽を育て上げることができずに、世のうねる荒波に呑まれて消え去った才能を確かに持った俊英がどれだけ居たことでしょうか。「一発屋」として名前が挙げられるのならまだましな方ですよね。
しかし、この曲の歌い手は違いました。


≪重ねてヒット曲を生むのが本物の証である≫


ようやく念願が叶って世に受け入れられたことは幸運でした。世人はイメージを定着して物事を分類するのが好きなので、小さな成功の後にシリーズとして次作以降が続くことは珍しいことではありません。この曲も確かに前作から受け継いだ点がたくさんありました。作り手と歌い手。全く同じでした。契約や専属だとか、この業界ならではの複雑な事情などもあるのでしょうが、勝利の方程式方式が必ず成功するとは限らないです。いわゆる二番煎じというやつですよね。こういう失敗とまでは言い切れないけれど、成功に結びつかなかったことは本当にたくさんありましたよ。


さて、この曲は…前作ほどの成功ではなかったものの、今や大御所となっている彼の人気を固めた曲になることができました。幸運でしたね。そして本当に良かった!
前作では同じフレーズが繰り返したことに対し、互いに似ている語句の並びではあるもののメリハリを的確に活かせて、二曲目のジンクスを見事回避することができたのです。これは見事な作戦でした。曲を提供する側としても歌手を売り出さなければヒットにはつながらい。あの手この手をと思案していたことでしょう。詞は後に文芸の世界でも大きな賞を受けた女流作詞家。言葉選びも秀逸でしたが決断力にも富んでいたのでしょう。それは彼女の人生の経験の重さに裏打ちされていたように思えるのですが。



曲の方はかつて一世を風靡した大人気歌手としての活動を経て作曲家となった才人。この曲の他にも多くの楽曲を世に送り出しています。
世に出る切っ掛けは第一作(彼は本当の意味の新人ではありませんでしたが)であり、次作以降で一段ずつ着実に地歩を積み重ねて成長してゆく。この曲はその役割を見事に果たしたのでした。
この歌手も無事に世に受け入れられて、安定した路線を築くことができ、それが半世紀を経た今日まで続いているのですね。この路線は作曲が変わったものの、作詞は続けられ、彼女との太い絆のお蔭で成功したとも言えるでしょう。
このお二方ともすでに鬼籍に入られましたが、昭和後期の音楽史に燦然と輝く金字塔を打ち建てた功績は不滅でしょうね。懐かしい思いです。


≪心で聴くのが音楽の醍醐味であるのだから≫

このようにご当地ソングにも多くの事情があって、たとえ似つかわしくない部分があったとして言及するのはどうなのでしょうか。お約束事と言い切るのは簡単なことですよね。けれどもそれでは面白くはないでしょう。そうですよね。心で聴くということを忘れないで欲しいのです。人の心は理屈では語られないのですから。



最後に。この大物歌手の好敵手として、歌謡界の双璧を成すもう一人の大物歌手がおられます。その人が同じように世に完全に認めれたのも日本各地の港を声高らかに歌い上げる名曲でした。発売自体はこちらの方が2年早いので、港歌歌謡ブームの火付け役となったのはこちらが先でした。登場する港は主に漁港が中心で、華やかさには劣る点がありますが、太平洋側を北から南へ下るという本当に広い「ご当地ソング」になっているのです(当初の予定では現在の曲以外の港も含まれていたそうだが長過ぎるという理由で日本海側のも含めてカットされ、幻に終わっている)。

ご当地という点ではこちらの方が似合っていると言えますけど、確かに命懸けで生活の糧を海の幸に求めているて漁師さんたちが仕事の合間に口ずさみながらヒットの輪が広がった、ということもあったでしょう。華やかな大きな客船が訪れることは稀だったけれど、生活に即した歌というのも演歌の魅力なのですよね。


この歌はイメージが先に築き上がられた名曲だということで、話を結びます。「長崎から神戸へ」。歌の文句ではありますが、実際には旅客船の定期航路は当時もありませんでした。ただし、戦前には航路が実在していたそうです。コロナ禍で下火にはなりましたが、クルーズブームが到来した現在では多くの客船が日本の主要港は言うに及ばず、中小の地方港でもその姿が見られるようになり、半世紀が過ぎた今になって歌詞が現実になった、のも何かの因縁かと思えば面白いことです。

ご当地色が薄いことがかえっていろんな港に受け入れられた。その縁(えにし)はこれからも続いて、歌われ続ける名曲なのです。