利用者ブログ - 10.21シリーズ:神戸と兵庫のご当地ソングたち

思い出の曲は人の数だけ存在します。今日の日本では、数え切れないほどの音楽のジャンルが確立していて、それぞれが各員の嗜好に合わせて提供され、その数は増える一方なのです。けれど、多くの人が認める名曲、というのは意外と少ないのでは?
昔から人気投票のような形でそれを調べる機会が幾度もなされ、出された結果は…。
今回のご当地ソングはその曲についての回となります。

≪本当の名曲は誰しもが認める懐かしい曲である≫

選ばれたのは『赤とんぼ』でした。作詞は三木露風(みき・ろうふう)。同時代の北原白秋(きたはら・はくしゅう)と共に時代を代表する作詞家であり、現在の兵庫県たつの市(旧・龍野市)の出身である高名な詩人です。作曲は山田耕筰(やまだ・こうさく(曲の発表当時は「耕作」))。戦前の日本を代表する大作曲家で、黄金コンビによって世に送り出された珠玉の名曲なのです。
曲が発表されたのは1927年(昭和二)ですが、昭和の始まりである元年は年末の1週間のみですので感覚としては「大正十六年」という方がイメージがわくのではないでしょうか。三木の詩が発表されたのは21年(大正十)で、曲が世に出されるまで少し間が生じていることになります。この間には23年(十二)の「関東大震災」も起こっているのでその影響があったのかもしれませんね。

童謡や唱歌は年代や世代に関係なく、どの時代においても一定以上の人気を保っています。事実、この『赤とんぼ』は多くの調査で第1位となっていて、広く指示されていることを証明しているのです。
歌詞は平易で誰にでも親しみやすいものが選ばれています。メロディは音の間の高低が小さく、休止符の前が全音である以外は長さも同一的で曲のイメージを伝えやすくなっていると言えるのが特徴的でしょうか。ともかく日本の童謡と唱歌、さらには民謡にまで多用されている作風なので、多くの人が無意識のうちに口ずさんでいるようなことも好感を持たれる結果なのでしょうか。

≪両巨匠の不思議な縁≫

著作物には著作権が制定されていて、制作された方の労苦に報いる形となっています。残念ながら、三木氏も山田氏も逝去されて共に半世紀以上が既に去っています。著作権の保護期間は、現在では著作権者の生存中及び死後70年間(以前は50年)とされているので、体制が変更された2018年(平成三十)12月末の時点で著作権が消滅した分については適用されません。少し分かり辛いですけど、1968年(昭和四三)に亡くなった方の著作権は本来なら2018年12月31日まででしたが、20年も延びる結果になりました。逆に67年(四二)までに亡くなった方は延長の対象とはならず、同年に亡くなった壺井栄(つぼい・さかえ)も恩恵にあずかることができなかった一人となります。「もう少し長生きされたらなあ」、と思わずにはいられません。
ここで意外な事実を。実は両氏は一年置いた、同じ日が命日(12月29日)となっていて、時を置かずに著作権が失効している、というのも不思議なことのように思えるのです(三木露風が1964年(昭和三九)、山田耕筰は65年(四十)で、失効は2016年(平成二八))。著作権者の死亡の計算は翌年の1月1日からですので、ほんの数年の差で大きな差異が生じた、ということになるのです。こういうことを考えれば世の中の運と不運は確かにあるのですね。やはり長生きはすべきだということです。
誰しもが親しんでいる童謡には、金銭が絡む話題は似合わないでしょう。それだけに考えにくいことに思いを巡らせることの楽しさにも気付いてもらいたいものです。


≪ふるさととしての、「たつの」≫


日本には「小京都」と呼ばれて親しまれている観光都市が多数存在します。兵庫県のたつの市も「播磨の小京都」と呼ばれ、市内には龍野城をはじめとした多くの観光名所が存在し、春夏秋冬それぞれの趣で観光客を迎えてくれるのです。特に秋の紅葉は素晴らしく、『赤とんぼ』の世界とセットで楽しむ人も多く居られます。
たつの市の名物は薄口しょうゆ。市内を流れる清流・揖保川の畔に工場を構え、欠かせない風景となっています。またもう一つの名物であるそうめんも原料で共通するのは小麦。播磨地方は昔から肥沃な土地で知られ、江戸時代以前からそうめんの生産が行われてきました。しょうゆには他にも大豆と塩が必要ですが、現在でも高級品には地元の特産を使用し、高い品質を誇っているのです。特に塩は近隣の赤穂が名高く、既に「忠臣蔵のふるさと」として紹介済みですので。よろしければそちらの記事もごらんくださいね。


塩良し。麦良し。豆良し。そして水も良し。最後に人が善し。この五重の要素が全て揃ってこれらの特産品が生まれ、合致したのが郷土料理としてのそうめんなのです。人気の薄口しょうゆは何かに似ているような気も…。そうですね。灘の銘酒にも共通する点が見られるのです。商品としても、原材料が違っても、特産品は生まれるべくして生まれたのだ、ということなのですよね。どちらも私たちの兵庫の誇りなのです。



特産品の原材料のことについては多くの人が言及しますが、製造を担う人たちの技術と伝統、それに流通網についてまでは思いが及びにくいようです。確かに目に入りにくいことですので仕方がないかもしれませんが、郷土の誇りとして語りたいのなら古(いにしえ)の人への尊崇も忘れてはいけません。過去が無ければ現在にはつながらないのですから。

たつの市は大きな町ではありません。一日あれば名所をゆっくりと見て回ることができます。観光のジレンマは開発と保存の共存のむずかしさです。街並みがきれいに整備されると、それが売りであった分だけ観光客の興が削がれることはよくあること。もちろん地元の方も生活があるので、住みやすさを優先しての都市化を他者が非難することは望ましくはありません。たつのは本当に小さな町で、路地裏の隅々に至るまで、この小京都が今まで醸し出してきた風情が色濃く見ることができるのです。道の細さが不便だと感じる方は地元でも多いでしょう。利便性と観光。観光客は見た目の俗化は嫌い、その半面生活面での快適さを常に求めています。解決は本当にむずかしい…。


国民的映画として親しまれた超人気シリーズでも龍野市(当時)が舞台となった作品がありました。映画がテーマではありませんので詳細は省きますが、主人公である風来坊がひょんなことから高名な龍野出身の日本画家と知り合い、同地で偶然に再会して巻き起こす椿事に周囲が振り回される、といういつものパータンなのですが、画家の名声を利用したいと目論む下役人たちの思惑に反して、画家は適当に逃げ出し、思い出の場所を独りで巡るシーンがあります。役人たちも必至でもてなそうとはしているのですが、お仕着せで窮屈な観光コースは根っからの自由人である画家には迷惑なだけで、足の向くままにというのは当然のことでした。確かに画面に映し出される風景は現地へ足を運ばない限りは見つけられない情景でしたね。



画面に映し出される風景は現地へ足を運ばない限りは見つけられない情景でしたね。
たつのは細い道の奥にその素敵な素顔がさくさん隠されている町です。車という文明の利器に頼り切らずに、ご自分の両の脚で回ればそれを満喫できるのです。
むずかしい面もたくさんありますが、この町の良さがこれからずっと保たれることに期待したいのです。


≪二つの「赤とんぼの里」≫

多くの曲には詞と曲があります。作者が同じでなければ、当然出身地が異なる方が多いでしょう。ということはそれぞれの郷里が「こちらこそがこの曲のふるさとである」という主張がなされることに。理屈から言えば、詞の内容は作詞者の郷里の描写、メロディは作曲者の心象風景、ということになるでしょうか。明治期を代表する夭折した天才作曲家の作品の舞台がどちらか。ということが物議を醸し論争になったことが現実にありました。
山田耕筰は東京大学が所在する文京区本郷の出身なので、ふるさとのイメージとはつながりにくいと思います。ですのでこの名曲のふるさとは…詞を提供した露風のものとなるのは自然な流れでしょう。では、龍野なのか、はたまた三鷹か。



三木露風は少年期を龍野で過ごしてから学業のために上京し、人生の後半からは東京の三鷹で過ごされました。この縁がきっかけで現在は両方の街が姉妹都市となるほどの良好な関係が築かれています。前述した事柄も打算的な争いとしてではなく、それぞれの郷里を誇りたいがゆえの主張の結果なのでしょうか。それだけ郷土愛というのは大切なことなのですね。
誰しもが親しんでいる曲にふさわしい、心温まる話なので、こういうエピソードは多くの人に知ってもらいたいのです。


最後に。この記事を読んでたつのへ興味を持たれ、実際に訪れられる方は、鉄道で行かれるのなら「竜野駅」(山陽本線)と「本竜野駅」(姫新線)という似た駅がありますのでご注意ください。観光で行かれるのなら本竜野駅の方が便利です。間違えると簡単には歩いて行ける距離ではありませんので。



車を利用されるのなら、専用の駐車場もありますが観光シーズンには満車になることも多く、意外に不便な点もあることを考えておかれた方がいいでしょう。
曲名にちなんだ国民宿舎もありますので、宿泊などで利用される機会もあると思いますよ。
たつの。龍野。竜野。時代と利用する機会によってこの町は違う表記をされます。それを踏まえてそれぞれの違いを味わうのも旅の楽しみなのでは。では童謡の里の観光を存分にお楽しみください。