【こいつ誰なんだ? 勝鹿北星】(2004年(平成十六)に亡くなる)12月7日
お二方目は、一世を風靡した劇画の原作者です。
生前は紹介した筆名での情報が少ない、謎の人でした。
漫画や劇画作品には作者が複数、ということもあります。いわゆる原作付きというやつです。『巨人の星』と『あしたのジョー』は実は同一人物(梶原一騎と高森朝雄(本名は高森朝樹))が原作を担当しているのですが、名義が明確に異なっていました。これは同一の雑誌で、しかも同時連載の大黒柱の両作品が同じ名義ではまずい、という大人の都合によるものです。これ以外にも名義を変えてといのは別に珍しいというほどでもないような…。しかし中には同一人物とは思えないくらい見事に使い分けた人もいました。まさに謎レベルと思えましたから。
『MASTERキートン』という人気劇画が有ります。「マスター」には多くの意味が含まれていて、軍の下士官あがりであることや学位の「修士」それに「達人」を意味しているのです(この件に関しては初期作品の文中で言及されていて、特に印象深い名言も軍の教官の口から語られています)。原作者が既に世を去られた後にも、脚本の一部を担当した方が新たな原作者として続編が作られるという根強い人気を誇っています。その第一作に名を連ねたのが「勝鹿北星」(かつしか・ほくせい)という、名前を知られていない名義でした。
作画を担当された浦沢直樹(うらさわ・なおき)氏は既に名を知られた売れっ子でしたので新人とのタッグの新作かな、というのが感想でした。
しかし本を手に取った瞬間、とても新人がシナリオを書いたとは思えないくらいの出来栄えだったのです。「誰なんだ」。この謎は瞬く間に世に広がったのでした。連載が開始されたのは昭和の最末期。今のように簡単に情報収集はできず、該当雑誌の予告等や散在する書評欄が頼りで、謎の人物に言及されることもあったものの、明確に本人が確定されるには至りませんでした。巻数が増える毎に名声は高まり、
ついには念願のアニメ化にも。
それは必ずしも本誌の内容とは合致しませんでしたが、人物の表情の描写に長けた浦沢氏の作風を再現することには成功していましたね。そういう画力の高さも充分評価できましたが、それにもましてストーリー展開が秀逸でした。確かな考証(一部には明確な誤りも見つけましたけれど)は重厚な内容を見事に裏付けする説得力が溢れていたのです。特に我々日本人がまずは思いつかないあるいは思いが及ばないような事象や箇所について微に入り細にわたって明確に言及されていたのは脅威ですらありました。
そして導き出した答えは、海外生活が長い。海外の学位や学会について豊富な知識が有る。東西の歴史に精通している。軍事知識に実に明るい。裏社会についても詳しい。冷戦最末期から新たな秩序形成期にかけての政治描写にも秀逸なので、政治学・社会学にも確かな知識が有る。保険制度にも詳しい(主人公の本業は考古学者だが軍の特殊部隊出身の保険調査員でもある)。文学・芸術にも長けている…。等々が箇条書きのように浮かんできました。長く続くヒット作には複数の部署での複数の担当者が存在していますが、本作の原作は一貫して高い知性と継続するだけの強い精神力を伴っているのは確実でしたよ。
こうして毎回原則月二回の販売日が本当に待ち遠しく、その集大成である単行本の発売日は必ず当日に購うようにしていました。この幸せも連載の終了と共に終わりましたが。
いつしか興味は他へ移り、謎の原作者の名前を思い出すことは本当に稀になっていったのです。
その正体を知ったのは意外なことからでした。
この人気作品が権利関係の問題から絶版同然であったのをずっと後に偶然知り、頭に浮かんだ名称をキーで叩くことで解決したのです。
「きむらはじめ」。知った名前でした。でも、印象に残らない作品の原作者に過ぎませんでしたから。そして既に物故者となっていることも。
現在では改めて原作者に名を連ねた、続編の執筆者が存在を認められた、ということは単独での原作提供ではなかったということになります。
でも勝鹿北星は本当に力の有る人でした。薄れていた記憶も思い出す毎に徐々に画面が、ストーリーが、それに豊かな背景が蘇ってくるのです。それだけ素晴らしい作品だったのですよ。
謎の名前は言うまでもなく葛飾北斎(かつしか・ほくさい)に因んでますね。それは機に応じて筆名を変えた北斎の自由闊達さにも憧れていたのかもれません。
もしもご存命であったら本当にいろいろとお聞きしたかったのですが…。昭和の終わりから平成初期にかけての、冷戦終結前後の熱い時代のお話でした。