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◆バッキンガム宮殿の門扉の紋章

◆バッキンガム宮殿の門扉の紋章
(https://pixabay.com/ja/photos/ロンドン-
バッキンガム宮殿-詳細-1932131/)

公人として生きるか。それとも一個人としての生活の方を選択するのか。私達のような庶民クラスでは、周囲に及ぼす影響の範囲は家庭のレベルで終わるでしょうね。
しかしこの人の場合は違いました。絶頂期に比較すると衰退の兆しが見え始めていたとはいえ、まだまだエドワード八世の治世の頃は「大英帝国」は「日の没せざる帝国」として全世界に君臨していましたから、英国民そして全世界にとってはその突然の退位宣言は衝撃を受けたのでした。先代のジョージ五世は第一次世界大戦で、Uボートによる通商破壊作戦の結果、国家崩壊の寸前にあった英国を怯むことなく戦勝へ導いた指導力を持った優れた国王として英国民から敬愛されていました。
また王子の時代からエドワードは自ら進んで大衆への数々のアピールを行って、国民からも絶大の信頼を受ける将来の王位継承者であり続けたのです。幼少から施された海軍軍人としての予定コースは彼の素養には適合せずに苦しんだようですけれど、いざ戦争が始まると率先して最前線での従軍を志願するなど自己に課せられた義務を越えるような勇敢さを合わせ持つ人物でもありました。

しかしそんな彼も聖人ではありませんでした。独身の王族ということもあって、どこでも盛大な歓迎を受ける人気者の王子は稀代のプレイボーでもありました。
実は理想的な国王として知られた父王は、家庭人としては妻である王子の母とは不仲で有り続け、冷たい父親として家族に愛を向けることは無かったそうです。
母もまた育児に無関心で、乳母達に任せきりの寂しい子供時代を送りました。これは後にジョージ六世となる実弟も同様だったので、愛情には縁が薄い家系であるとは言えたでしょう。

王族の身分は少年時代にはむしろ足枷となって周囲からの嫌がらせの対象にもされたので、孤立無援の王子は心の拠り所が有りませんでした。父王は「特に厳しく躾けるように」との方針で将来の国王に十分な帝王学を授けさせようとしたのも、決して王子には好ましいこととは言えませんでした。これらがどうエドワード王子の精神に影響を与えたのか、ある一人の女性の存在が王子の人生に大きく関わることになりました。

現在の日本人の感覚では理解づらいでしょうが、英国王室は「英国国教会」というカトリック教会から分離した教会の首長でもあり、宗教的な制約も課せられる立場であるのです。エドワード王子の意中の女性はアメリカ人であり、しかも当時は人妻という立場でした。かつての植民地の国民であり、よりにもよって離婚歴を持つ既婚女性とは。

将来の王妃たる皇太子妃に相応しいと考える人物はいませんでした。

父権的人物の際たる父王は息子の一連の行動は王位継承者にあるまじきことと捉えて、父子の関係は悪化し続けました。長男であるエドワード王子との関係修復が為されぬまま父王ジョージ五世は1936年(昭和十一)1月に崩御します。エドワード王子は未婚の身で王位を引き継ぐことに。そして意中の女性を王妃のように扱い始め、保守派の人々からの激しい非難の声が上がりました。意中の女性はその間に二度目の離婚が成立はしました。

もし独身の一貴族ならばこの結婚に関することは個人的な問題でまだ済まされたでしょう。

しかし、新王は貴族の中の貴族である、欧州の一大名家の家長でもある君主なのです。世界最大の帝国の王には相応しい女性を。特に肩書を持たない元夫人を積極的に味方する有力者は現れませんでした。二人は次第に孤立しました。王という身分である限りは誰からも祝福されない。新王はこうして決意しました。84年前の今日、国王のエドワードの短い時代はこうやって終わりを告げたのです。王ではあったものの即位式典はついに行われないままで終わりました。一年足らずの王権でした。

王位は弟君が受け継がれ、元の王は発表の翌日に国民に対して決別のラジオ演説を行い、追われるように国を離れました。次の国王である弟王は全く国王としての教育を受けておらず、不安なまま即位したのが尾を引き、元王とその後の王室との関係が険悪となりました。その後、元王は公爵位を特に授けられて、結婚した二人は残りの人生をその称号で呼ばれるようになりました。
第二次世界大戦の時点では彼らを政治的に利用しようとした動きも確かに有ったのですが、それらは現実にはならず、公爵夫妻は永らく隣国のフランスで生活し、王位を棄てた36年後の72年(四七)に公爵は世を去りました。退位から険悪な関係であった王室も、公爵を王として王室の墓地に埋葬することで一連の問題を解決しようとしましたが、公爵夫人とは微妙な関係がその後も続きました。

自分の愛する女性のために世界一の座を棄てる。国王としては許される行為とは言えないでしょう。現に英国国民からも退位までは非難の声が上がりましたから。しかし個人としては偽らざる愛を貫いた容ではありました。
それが「王冠を賭けた恋」ともてはやされた理由でしょうね。現在でも英国王室はエドワード八世の退位を「恥部」として考えているようです。現在の女王はジョージ六世の娘であり、父に望まない王位を押し付ける形になった伯父に対する複雑な感情を持っているのは、まあ間違いないでしょうが。それはともかく英国民はとっくにエドワード八世を許しているようです。元からの人気者であること以上に、一人の女性を人生の全てを賭けて愛し抜く人生を受け入れたからでしょう。いつの時代も愛は美しくあってもらいたいものです。


◆バッキンガム宮殿-1

◆バッキンガム宮殿-1(https://pixabay.com/ja/photos/バッキンガム宮殿-正方形-像-3932671/)


◆バッキンガム宮殿-2

◆バッキンガム宮殿-2( https://pixabay.com/ja/photos/バッキンガム宮殿の門-4819592/)