利用者ブログ - 今日は何の日

壁の中のモナ・リザ

レオナルド・ダ・ヴィンチ像

レオナルド・ダ・ヴィンチ像

作者がルネサンス期の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチであること以外はほとんど分かっていない、謎だらけの名画です。世に知られている「モナ・リザ」も通称に過ぎず、その表記についても意見が別れることが有るので、論じるには注意が必要ですね。科学技術が進んだ今日では、他の画家達がどうしても再現できなかった微笑が、実は超絶的技法による絵の具の巧みな塗り重ねによって表現されたということも判明してきました。分かりやすい例えとしたなら、デジタル作画が主流となる前のアニメーションの製作、と考えていただけるのが良いでしょうか。顔一つにしてもパーツごとに描き分けられ、それを一つにまとめ、それを背景画の上に載せる。さらに必要なら様々な効果を加える。これを絵画に置き換えることで、実に微妙な表情の再現が可能になった。書くだけなら簡単ですけど、絵筆で色相を透明にして部分的に塗り重ねる…。技量は言うまでもなく、自分が今何のための作業を行っているのか、正しく認識しないととてもできそうにはないですよね。


歴史的名画とされている物の多くは、実際には後世の画家の、補修もしくは改変が施されている例は実に多いのです。これは「裸体を忌避する」という宗教的な目的も含まれてはいたのですが、中世の暗黒の中から人間性の復活を目的としたルネサンス(文芸復興)とは相反する動きでした。現に現在では数々の名画に施された加筆や改変部分を取り除き、当時を解析した科学技術に裏付けられた、専門家の手によって製作当時のままの姿に戻す復元作業が、地道に、慎重に行われています。
この『モナ・リザ』にとって極めて幸運だったのは、どの時代においてもこの歴史的な絵画がその価値を認めれて慎重に扱われてきた点が挙げられるでしょう。この名画にも何度も修復の手が加えられましたが、元の姿に深刻な影響を与えるほどのダメージは与えられませんでした。


「この微笑みを失わせるかもしれない」。その躊躇いが利いたことももちろん有ったでしょう。

見出しでも少し触れましたが『モナ・リザ』は実は盗難という災厄に遭遇したことも有りました。事件の詳細には触れませんが、盗難発生から回収まで1年余りの間に大きな損傷を受けなかったのも幸運なことではありました(回収に修復作業は施されています)。
それよりも残念だったのは世人の悪意に因る破壊の手が向けられたことでした。何度か被害を現実に被ったことも有りましたが、幸いにも軽微な損壊で済んだのです。これには政治的な理由も含まれたのですが、ともかく「世界一有名な絵画である」というのも理不尽な衝動に繋がった気がしてくるのです。ともあれ、盗難事件が無事に解決したのは喜ばしいことでした。
1913年(大正二)の出来事でした。世の中の多くの悪意によって、こういった芸術作品が汚損の対象とされるのは哀しいですね。防犯技術が飛躍的に発達した今日では、こういった蛮行から偉大な先人達の遺産である宝物が無事に守られているのは好ましいことです。

しかし、昔のように分厚いガラス抜きで直に接することができるのなら…。熱心な愛好家でなくても誰もがこうは思うはずですよね。現在、『モナ・リザ』はフランスの国有財産としてルーブル美術館で厳重に警備されて公開されています。
そして見た人の第一の感想は。「小さい絵だな」という点が上げられるはずです。小さくても世界に及ぼした影響はとても大きいので、こういう点でも芸術の偉大さを感じますよね。この名画に会うのは簡単ではありませんが、日仏の親善のため東京で公開されたことも過去にはありました。もう一度くらいそんな機会に巡り合いたいものです。


レオナルド・ダ・ヴィンチも滞在した世界遺産のシャンボール城


【「文化」も制約に加えられる GHQが『忠臣蔵』等を禁止に】(1945年(昭和二十))


文化にはたくさんの側面が伴い、国が変われば常識も見解が異なるもの。平和な時には特に問題とはならなくても、敗戦という力関係が如実に表れる時には、理不尽とも思われる一方的な仕打ちが課されることも珍しくはないのです。1945年(昭和二十)、日本は敗れました。それと同時に占領行政を行うアメリカ軍は、多くの手段を講じました。

その一つに「仇討ちや心中をテーマとする作品は今後、発表・上演を禁止する」というものが含まれていました。管理する側のアメリカ軍にとって、日本人からの復讐を恐れたのでしょう。日本側にとっても対外戦争の敗北で国土を占領される事態は未知の体験でした。お互いに誤解を含む事態を憂えたのでしょう。日本人にとっては封建時代からの「上下関係」は美徳とされるほど日常のことでした。そして世の不条理が故に自らの命を愛する人と一緒に断つ行為をも「美点」のように考える日本社会。
「人はみな平等」を国是とする平民社会のアメリカとは簡単にお互いを理解するのに相当に苦労したのは無理もないことでした。生活苦を紛らす手っ取り早い方法は娯楽がまず挙げられますが、こうして占領時代の間には伝統的な文化の一部が禁止されることで、重要な人気の演目の多くが外されたのです。
今日の視点では既に『忠臣蔵』が義挙と感じる人も少なくなったでしょうが、「物足りないなあ」と不満を抱えた人もあの時代に感じた人は多かったのです。

日本が主権を回復するとこういう制約は当然無くなり、戦後の日本映画の黄金時代には再び時代劇は活況を呈しました。発表が義士の討ち入りの日の間近になされたのも、米軍当局が相当慌てていたことの証拠だと考えるとかなり興味深い話のも思えてくるのですけど、真相はどうだったのでしょう。平和な時代だからこそ、本当の日本人の美徳を感じる。この流れが変わってはいけませんね。