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一年をわかりやすく区分するためにもカレンダーは必要ですね。その一年の中でも一番鮮やかな月が5月ではないでしょうか。事実、洋の東西を問わずに春から夏への過渡期であるこの月に、萌え上がる緑に対する感謝を込める行事や記念日はたくさんあるのです。
今回はその5月の中で最も身近であろう人へ感謝をあらわす「母の日」について語らせていただきます。

<母の日誕生までの歴史的な流れ>

日本では「母の日」は毎年5月の第2日曜日となっています。これは母の日を制定したアメリカと同じですね。日頃、家族のために懸命に働いてくれる母親に対して、赤いカーネーションとプレゼント、それに感謝を込めたメッセージを添えて贈ることが一般的なイメージですよね。

詳細は省きますがこの母の日は、社会運動家であった亡き母を追悼する意味で一女性が提唱したことにより始められたようです。時代は20世紀の初頭であり、すでに一世紀が経過しました。現在の母の日は、日頃家族の世話に勤しんでいる母親に対する感謝を表す日となっていますが、母の日発祥の元となった女性社会運動家が提唱した運動とはやや趣が異なり、アメリカ社会を二分した「南北戦争」(大内戦)の時に敵味方を問わずに負傷兵の救護を行い、また彼らの衛生環境の改善を目的としていたようです。これを同時代の別の女性社会運動家が今度は戦争へ非協力の態度を取るためにこの運動を参考に別の記念日として世に訴えたようですが、こちらは世に受け入れられませんでした。


博愛精神で心情や所属団体に捉われずに活動することを目的とする「赤十字運動」(宗教的な問題で同様の活動をする別名称の団体が複数存在する)の始まりも同じく1860年代ですので、市民社会の意識の萌芽がこのような社会運動を支えたのでしょう。わかりやすく言えば、急激な産業革命の結果により帝国主義化が一気に進み、全世界的に紛争が多発して国民総動員が叫ばれて戦争の悲惨さも正比例したとも言えるでしょう。その反動としてこれらの運動が世に広がったのですから。


今日の母の日の趣とその元となった女性の運動が単純に重ならないのは、複雑な社会環境が背景にあったからです。その大内戦からちょうど百年後。戦争の惨禍が再びアメリカ社会を襲いました。悪夢のベトナム戦争です。この間にも二度の世界大戦があり、その他にも戦火が上がりましたが、ベトナム戦争はアメリカ国民に対して派兵の必要性の有無をめぐって国を二分した点がそれまでの戦争とは異なり、大規模な反戦運動が起こったことでも知られています。一女性運動家が提唱してようやく彼女の主張が受け入れられたとも言えますね。それにしても大きな代償でしたが、この反省が戦争の抑止力と「なりつつ」あるのは大きな救いでした。母の、子に対する大きな愛がそうさせてきたのでしょう。素直にそう信じたいです。



話が逸れた気がしますが、戦争以外にも世に生を受けた幼子を脅かす要素は他にもたくさんありました。今日とは比較にならない医療のレベルと公衆衛生の概念の低さ、栄養不足、人種や階層や性別に対する偏見。それに大きな貧困。現在でも地域によっては乳幼児の生存率が大きく左右される出来事が頻発し、家族の悲劇が現実に起こっているのです。それらをこの世から無くそうと努力してきた人々がいたからこそ後人が存在しているのですからね。これからも愛の力の尊さを忘れてはいけないのです。
自分の家庭の母に対する愛情と感謝、だけではなくて現代に通じる先駆的な活動をされた方々に対する感謝も忘れないようにしたいですね。「世界の母」の日と考えるようにすれば効果的だと思いますので、それぞれが試してみる価値はあるはずですよ。


<カーネーションの色が意味するものは…>


先にも書きましたが、母の日のイメージはやっぱり赤いカーネーションです。しかし…。この制度が始められた当初は白いカーネーションが捧げられていました。これは先の女性運動家が白いカーネーションが好きで、その亡母のために娘が追悼のために贈ったことに由来したからです。

日本で母の日が始められたのは戦前の昭和初期でしたが、当初は別の目的であり日付も違っていて広くは普及しませんでした。同じ5月の母の日は昭和十年代から始まり、世間で広がったのは戦後でした。敗戦によりアメリカ流の生き方が評価されたのも理由でしょう。
この頃には母が健在なら赤、既に故人になっている場合には白と区別されていたようで、現在に至っている伝統は始められていたようです。



一つの花に様々な色があるのは珍しくないですけれど、色が意味することを考えると深い意味が込められていることに気付きます。赤い花は日常に感謝、悲しいですが白い花は善き思い出に感謝したいです。これも花の持つ意味なのですからね。


<日曜日の夕方のおたのしみは…>

重い話ばかりだと気が滅入ってきますので、ここからは身近なお話にしましょう。日本では母の日は日曜日に制定されています。年ごとに一定の周期で変わる記念日ですが、曜日に左右されないというメリットもあります。気候的には一年でも安定した時期でもあるので、鮮やかで華やかな気分で身近な人に対する感謝の気持ちがより増す効果もあるでしょう。不幸にもすでに亡くされた方にとっても、一番善き思い出を抱いて思慕するのにもふさわしい時季であると思えるのです。

その日曜日。平成の世の始まりの頃から、一時的な中断を除いて夕方のお茶の間で長らく親しまれている人気作品がありますよね、その後番組と共に、殺伐とした世相とは裏腹に昭和の後期の善き時代をループし続けている国民的作品。少し変わった家族ではありますが、平凡な家庭と平和な街での日常をおもしろおかしく綴った作風で知られていますが、母の日という視点で考えれば面白い点に気づきました。「意外と母の日が登場していないんだ」ということ…。タイトルに登場している話数は10回程度で、すでに全放送数が千回越えをしている割には少ないと言えるでしょう。これは本放送が日曜日の夕方という事情にもよるでしょうが、国家的大イベントであるゴールンウィークの直後というのも理由の一つではないでしょうか。花を贈るのを忘れていた子供達が放送を見て、母親のためのカーネーションを買おうと思っても市場ではほとんど店じまいの時間となっていますし、買い物のために外へ出るのにも遅くなっていますしね。何事にもタイミングが必要だということですか。こう考えてみるとむしろ合理的な理由であるとさえ思えてきましたよ。

長く続いている人気作品も、見方を少し変えてみれば意外な点に気づくということもまだまだありそうですね。皆さんも機会があれば試されてみればいかがでしょうか。楽しいですからね。


<世界の母の日事情>


母の日発祥の地であるアメリカとそれを取り入れた日本の事情は以上のとおりです。では他の国ではどうなのでしょうか?。
やはり日程的には同じく5月の第2日曜日の例が多いみたいです。だけども世界はやっぱり広い。国によってやっぱり日付が異なることが多いですね。民族的な伝統や宗教行事が理由だとは思うのですが、それぞれが一律ではないということが面白くもあると言えるでしょう。
けれども共通する点はやっぱり一つですね。そうです。母に対する子供の愛。そしてこれにいつでも応えてくれる母の愛。これはこれからもずっと続くのです…。



さあ、赤いカーネーション、それと白いカーネーションを捧げる方も感謝を込めて手渡しましょう。「ありがとう、お母さん」、と愛を込めた言葉と一緒に。