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<平和を望む心はこれからも変わらない>

以上が『オキナワ』の概略です。古い記憶だけを頼りに筆を進めましたので間違っている箇所も多々あるでしょうが、まあこんな内容でした。
本作の舞台となった時代からもう50年以上経ちました。その間に沖縄はどう変わったのか。もちろん米軍統治の時代は終わり、現在では「琉球政府」は「沖縄県」となり、日本へ復帰しました。しかし沖縄では確かに基地の数は減ったものの、未だに沖縄の地に鎮座していて極東から中東方面における重要な拠点として存在し続けているのです。むしろその重要度は上がっているとさえ言えるのですからね。1980年代からアジア諸国及び地域は急速に発展を遂げ、それは軍事力の成長も意味しているのです。特に大陸の成長は驚異的なレベルに至っていて周辺諸国との軋轢を生じさせているのは周知の事実です。

「平和な沖縄を」。このスローガンは第二次世界大戦の敗戦後からずっと叫ばれて来ました。しかし現実は厳しいものでした。願いとは裏腹に、新たな支配者となった米軍は銃剣で沖縄の住民たちを追い払い、ブルドーザーであっという間に農地を、家を基地に変えてしまったのです。


本作の主人公の少年も、「俺が生まれる前から基地があった」状態でしたから、彼にとっては当然の光景であり、日常だったことは悲しいことでしたね。彼の言い分はおそらく「何もやっても無駄だ」であり、諦めの境地になっていました。父親の言葉ではありませんが米軍関係以外では思うような就職口はおそらく無かったことでしょう。教育に関しても恵まれている環境とは言いづらかったでしょうから、主人公の少年の心境も理解はできます。
それでいてアメリカナイズされた外の文化はきらびやかに見えたはずですよね。けれども自分たちはそれを享受できない。この差異が多くの若者たちの希望を奪う結果になったのでしょう。実は少年は腕には自信はありました。作品の冒頭部分でベトナム送りが決定した米兵との間にトラブルを起こし、相手をのしてしまったことがあったのです。いくら米兵が酔っていたとはいえ、現役の兵士が相手ですから相当の腕前だったということになりますよね。近くに米軍のMP(憲兵)か沖縄の警官が居たら即逮捕だったでしょう。


しかし、後に父を後ろからナイフで刺した暴漢が短い期間で釈放(保釈の可能性あり)されたことを考えても相当に緩い状態だった、とは言えるでしょうか。要は「不都合な事柄はできるだけ大事(おおごと)にはしない」という暗黙のルールが官民を問わずに存在していたとしか思えません。事実、米軍も多発する兵の犯罪や不祥事には手を焼き、軍による刑罰の他に「不名誉除隊」というレッテルを貼り付けて軍の外へ放逐することもこの当時は日常茶飯事でした。少年は秀でた腕力を持ちながらも善き方向へ奮うべくもない厳しい現実。怒りで拳を振り回しても空気が相手では何の意味も持たない。そんな少年の心境は痛いほど理解できました。

沖縄の米軍は確かに現地で金を落としました。当時の沖縄がそれで潤っていたのもまた事実です。しかしこの力関係が長引く「大義無き戦争」で兵の質の低下を招き、沖縄の地に暗い影を落としたは不幸なことでした。



漫画ならではの良い点もありますので、そちらへもスポットを当ててみましょうか。軍政下とはいえ、沖縄でも日本語による教育がなされていたことを示す描写がありました。物語では特に言及されていないので断言はできませんが管理者がアメリカなので、意思疎通を図るための英語教育も本土よりは重点的に行われていたと思われます。また、軍事基地の周辺の学校で日常的に起こる騒音のためその都度授業を中断させざるを得ませんでした。
その際に「冷房」という語句が出てきました。亜熱帯の沖縄では温帯の本土よりは必要の度合いは上だったでしょうが、冷房はまだまだ庶民には高嶺の花だったため、教育現場で用いられていたということは沖縄でも教育の重要性はしっかり認識されていた、ということになるはずです(おそらくは騒音対策の経費で賄われていたと思われる)。こういう点は読者側の読解力次第なのですが、作者側のメッセージ性が確かに盛り込まれていましたね。


沖縄では米本土と同じく車両の右側通行(1978年(昭和五三)7月30日に内地と同じ左側通行に)もしっかりと描かれ、こういう点も見逃してもらいたくないですね。情報量が本当に限られていた当時でこれだけ描かれていたのは本等に驚きでした。
本作を描くに当たって中沢氏は本当に沖縄へ行かれ、綿密な取材をされたそうです。ですからあの頃の沖縄の姿がリアルに描かれたのでしょう。市井の人々の生の声がふんだんに集められて米軍関係を中心とした理不尽な仕打ちに対する怒りが結晶としてできあがったのがこの『オキナワ』なのです。



本作は人気作品とは言えませんでしたが、後に同じ雑誌で連載される『はだしのゲン』への橋渡しのような役割を担っていました。これは当時の編集部の方針で、人気至上主義を唱える中では異例の扱いでした。ただし、予定されていた同社での単行本化は諸々の事情から直前で中止となり(刊行予定の広告は残されている)、この点も『ゲン』と同様なのは残念なことです。『ゲン』は同誌での連載終了後に数々の掲載元を変えて、一応完成し、別の出版社から単行本化されました。この『オキナワ』も後に書籍化はされましたが大きな話題とはならずに半ば忘れ去られた存在となっているのが現況ですね。
再び脚光を当てるようにしたいものです。


≪日本とアメリカの絆も忘れてはいけない≫

ここまで米軍の暗い点ばかりを描いてしまいました。過去の数々の問題は沖縄のみならずこの日本にとって決して忘れてはいけないのです。けれども米軍当局も日本との関係修復のために努力を続けているのも事実ですので、その点も忘れてはいけないですよね。沖縄に限らず、親睦のためのイベントも行われていますから、日米両国の安全保障のために働いている彼らに接する機会にすることができたら幸いだと思います。

これからの沖縄を取り巻く問題は明るいものばかりではありません。大陸側や他の勢力の思惑によって周辺の緊張度はますます高まっていますので。また米軍も沖縄の重要度はこちらも増すばかりです。政治的な問題は重くのしかかっているのが厳しい現実なのです。これらの問題を平和的に解決することができたら、沖縄は世界で最も豊かな島に生まれ変わることができるでしょう。これは過大な表現では決してなく、抜群の地理的な好条件を考えれば夢物語などではないのですからね。

人種者や国籍、信条等を超越した平和な世界を築く信念を世界中の人々が持つことができたら、新しい世界に生まれ変われるです。一日も早くその実現をする努力をお互いにこれからも続けましょう。


≪世界の出来事≫

最後に物語のあった1968年(昭和四三)の主な出来事を簡単に書いてこの話を終わらせていただきます。時系列順ではありませんが、内外での印象的な事柄を選びました。時代の空気を感じていただけたら幸いです。

●北ベトナムのテト(旧正月)攻勢/●ベトナムへ派遣された米兵が54万人に達し最大に/●ジョンソン大統領、北爆の停止と大統領選挙への不出馬表明/●水爆搭載機を含み、B52の墜落事故が複数回発生する/●米原潜「スコーピオン」沈没事故/●キング牧師とロバート・ケネディの暗殺/●メキシコシティー五輪でアメリカの黒人陸上選手が表彰台で人種差別への抗議活動を行う/●フランスで「五月革命」が起こる(ド・ゴールの退陣)/「プラハの春」に対しソ連が軍事介入(チェコ事件)/●ニクソン当選/●アポロ計画での最初の有人飛行である「アポロ7号」が打ち上げられる/●文化大革命で「下放」が始まる/●ザ・ビートルズのアニメーション映画『Yellow Submarine』が公開される/●映画『2001年宇宙の旅』『卒業』が公開される/●女性解放運動が加速する

≪日本での出来事≫

●明治維新から百年となる/●核持ち込み疑惑の米原子力空母「エンタープライズ」、佐世保へ入港/●小笠原諸島が返還される/●東大及び日大紛争が始まる(学生運動の最盛期)/●成田闘争が激化/●「新宿騒乱事件」が起こる/●東大、翌年の入試を中止/●川端康成がノーベル文学賞を受賞する/●文化庁が発足/●2年後の日本万国博覧会の「太陽の塔」のコンセプトが決められる/●ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』、発売中止となる/●グループサウンズブーム、この頃が最盛期/●「三億円事件」が発生/●映画『黒部の太陽』が公開される/●テレビアニメ『巨人の星』が放送開始/●『あしたのジョー』が連載開始/●つげ義春の劇画『ねじ式』、発表される/●『週刊少年ジャンプ』が刊行される/●大河ドラマ『竜馬がゆく』が放映される/●世界で最初のレトルトカレーが販売される/●テレビ放送のカラー化、この頃から急激に加速/●この頃、フォークソングがブームとなる/●前年に起こったミニスカートブームが定着する/●この前後、劇画ブームが起こり、新雑誌の発刊が相次いだ/●映画及びテレビでの特撮作品が人気を呼んだ