利用者ブログ


寒くなってきましたね。外へ出るのが正直、辛いです。
だからといってただ引き籠っているのも、なんだかもったいない気も…。
ということで、これからの新しいシリーズの「まちなか歩き旅」を始めてみたいと思うのです。
私たちの神戸をはじめとして、関西の都市の魅力を散歩視点で語ってみたいからです。
では始めましょう。

≪街中の滑走路のような道 それが御堂筋≫


第一弾は大阪の御堂筋を取り上げます。私たちの神戸でないのは残念ですが、関西の街並みを語る上では外すことができない存在ですからね。キタを代表する梅田とミナミの玄関口を結ぶ御堂筋。商都・大阪の象徴であるメインストリートをゆっくり歩いてみましょう。
「銀ブラ」という言葉があります。言わずと知れた、日本一の繁華街である花の都・大東京の中心地である銀座界隈をゆったりと巡り歩く、という意味です。響きからして良い韻を含んでますよね。まさに華麗なる街に対する憧れを素直に表してます。
それに対し、御堂筋は「必ずしも繁華街ではない」という点が大きな違いです。南北の両起点と一部並行する大規模な商店街に大型商業施設はあるものの、御堂筋は基本的にはオフィス街。最盛期から比べれば大幅に減りましたが、かつては大小の銀行の支店が多く並んでいました。国の中央銀行や市役所、某国の総領事館等も置かれ、行政の拠点としても機能しているのです。もちろん商社等のオフィスも。保険会社やインフラを担う大企業のビルも。この日本を代表する大商社のビルも誇らしげに聳え立ち、日本経済の大黒柱としての格を示していることは心強いことですよね。


もちろんこの商都を支えてきた、「大阪商人」の伝統が色濃く残されている場所でもあるのです。この御堂筋のほぼ中央部の船場には東西に走る高速道路の高架下に置かれた大規模な商業センターが設けられていて、伝統的な繊維商をはじめとして様々な商店や飲酒店が軒を連ねていて、機能性優先のビジネス街とはまた違った商いの雰囲気が味わえる施設となっています。
このような感じのビルが通りに面してずらりと並んでいますが、北から南へ足を進めると(道路としての御堂筋は南行きの一方通行)ビジネス色は次第に弱まり、代わって身近なサービスの業種が強まるように感じます。



特に地名としての大阪の繁華街の代名詞たる心斎橋の周辺からはホテルなどが目立つようになり、より華やかな雰囲気に。また、デパートも。地元以外の方の多くは御堂筋と心斎橋とを重複して認識されているかもしれませんが、両者は別物ですので注意が必要です(心斎橋筋も南北に長く伸びる商店街だが、御堂筋の東側に並行して位置している)。こちらも語る気満々なのですけど今回は御堂筋の紹介の回なので、また別の機会にするとしましょう。
御堂筋の象徴的な一角としては、このデパートの付近が一番かもしれませんね。今はもう違いますが、かつては大手の異なる会社が軒を並べていて、バーゲンセールの季節ともなるとニュース等でよく取り上げられていましたから。そのなじんだ風景も北側は新しいビルに建て替えられて新たな景色となり、変わるのも伝統の一部である、ということを私たちに教えてくれるのですが…。


さあ、さらに南へ行きましょう。地下鉄なら一駅ほどの距離ですね。ビルが途切れてミナミの象徴的な風景が見えてきました。そうですね。道頓堀です。関西一の人気球団が優勝(リーグ優勝でさえ相当昔の話で恐縮ですが…)して熱狂的なファンが次々に川の中へ飛び込む珍景で有名になったあの道頓堀ですよ。御堂筋の東側からでもネオンの大看板が見え、いかにも大阪らしい風景となっています。川幅は意外と狭いのですが、周囲のビルとの風景も川面に溶け込み、独特の風景となっているのです。特に夜景が素晴らしく、空中と水面の両方の光の渦が一際夜の闇の中に浮かび上がって人気の高いスポットとして知られています。一連の騒動以降からすっかり少なくなりましたが、それ以前は外国からの訪問客からも人気が高くて、個々にその存在感を十分主張し過ぎている商店の原色のポップに大きく派手に外国の方向けの説明文がびっしりと書かれてました。とても活気的で、客寄せの音楽と共に彼らの話し声が心地良い雑音として流れていましたから、一日も早く封鎖が解かれてあの当たり前の日常が戻ってきて欲しいものですね。

ここで風景や雑踏に見とれていればここが御堂筋の終点だと勘違いしそうですが、まだ行程は残されています。先を急ぎましょう。高速道路の下を潜ればミナミの玄関口である私鉄のターミナルに隣接しているデパートの一角が見えてきます。お疲れさまでした。ここが大阪のメインストリートである御堂筋の終点となります。


大阪は明治以前は「大坂」であって、江戸時代には「天下の台所」として経済の拠点としての役割を果たしてきました。歴史も古く、豪商も多く存在していました。それらの中には現在でも受け継がれている会社もありますが、地名にのみ栄華の名残を残す商家もありました(駅名でも有名な「淀屋橋」の「淀屋」はその好例)。それはともかく、この歴史のある大都会の中を整然とした街並みで再整備した計画性と先進性には敬意を抱かなければいけませんよね。昭和の初めにはもう御堂筋が完成していたので、大正時代末期に起きた関東大震災以降の一時的ではあったも、人口でも経済面でも日本一の大都市となった「大大阪」の面目躍如だったのですから。
「町中に飛行場でも作るんかいな」と揶揄されたくらいの道幅も、昭和の高度経済成長、平成、そして令和となった現在では一方通行に限定されているくらいに自動車化社会が到来したのですからね。地下鉄の建設も含まれますが、地上を走っていた市電を廃止したのは賢明な措置でした。さすがは実利優先の大阪魂、ですよね。


現実には結構障害物があるので実現は当然不可能でしょうが、軽快な小型機(第二次世界大戦当時でも戦場という悪条件においてさえ百メートル以下で離発着可能な連絡・観測機が実在している)であるのなら、中央部の4車線ならなんとかなりそうな気も…。もしできたのなら、花の都・パリの「凱旋門」を飛行機で通過する(フィクションでよく取り上げられる題材です)のと同じくらい痛快な事柄でしょうに。大阪には「東洋の巴里」(一部の風景は確かに当てはまります)という別称もあるようなので、意外な点で繋げられなくもないというのも面白いことではありますよね。
御堂筋はこのような魅力に溢れた街路なのです。



≪御堂筋のイチョウ≫


ここまで読まれた方はある思いが過るでしょう。そう、御堂筋のシンボルであるイチョウが登場していませんよね。でも安心してください。これから語らせていただきますので。
御堂筋には完成時には千本弱のイチョウが植えられていたそうです。日本では伝統ある神社仏閣や城郭等で大きく成長したイチョウの姿を見かけることがよくあります。イチョウの特徴は火事に耐性があるそうなので、貴重な文化財の宝庫であるこれらの施設で防火の役割を果たしてきたことも事実なのです。火事の際にイチョウの幹から水が噴いた、という話が残されているくらいですから。これは伝承なのかもしれませんが、火事に強いのは事実なのですね。



実際、先の戦争での大阪大空襲の際にも御堂筋のイチョウも一部が被災してその痕跡は現在でも残されているそうです。焼け焦げて見た目は枯死したようでも次の年には再び芽吹いたというのですから、なんという生命力なのでしょう。広島でも原爆の被曝直後は「50年間は草木一本生えない」と言われながらも、キョウチクトウが最初に花を咲かせて、以降は同市の市の花に認定されたというエピソードにも似ていますね。これは蛇足ですが、イチョウは身近な存在という親しみやすさからも自治体の木として採用されるケースが多く、地元の大阪市でも市の木、東京都の木ともされています。大阪府内では他にも八尾市が含まれています。環境対策が整備された今日では公害は減りましたが、排気ガスにも強いというのも心強いですね。まさに都市の中央にうってつけの樹木ということになりましょうか。


しかし、夏の暑い盛りには戸外の貴重な日陰を提供してくれ、晩秋には黄金の葉で街を見事に彩ってくれるイチョウにも困った一面がありますよね。はい。あの独特の臭いです!。「銀杏の実は好き」という意見もお持ちでしょうが、その外側の肉の腐臭は強烈で、嫌われる方が多いのも事実です。でもよく観察すれば全ての木の根元に厄介さも感じさせる銀杏の実が落ちているわけではないこということに気付くはず。実はイチョウは雌雄の別があり、雄の木には当然実が生らないのです。「それなら雄だけを植えればいいんじゃいの?」という意見が出るでしょう。でもイチョウはある程度成長しないと性別の判定が難しいそうなので、「育たなければ判らない」のが本音のようです。それに私たち人間もそうですが、男女の数がある程度揃わないと色々不都合が起こりやすくなるのと同様に「イチョウも不機嫌になってしまうのでは?」ということさえ起こりかねないかもしれません。


群れの中で暮らす生物の中には時期によっては一斉に性が転換する種、さらに何らかの理由で片方だけの性が激減した際には同性の中から異性へ転換する種もあるとのこと。まあ、イチョウは恐竜が地球を支配した時代から大絶滅の危機を何度も生き延びてきた恐るべき生命力を秘めた、生の大先輩でもあるので、小賢しい人間の「悪知恵」にはまだ余裕を持っているのかもしれませんね。被子植物が優位にある現生でも少数派の裸子植物の代表格であるイチョウ(現生のイチョウは全て中国のみに生存していた生き残りの子孫)に敬意を捧げて、御堂筋をこれからも歩きたいものです。



あ、忘れてました!。イチョウは確かに多く植えられていますが、場所によっては他の街路樹が多く植えられている箇所もあります。近年は快適性が優先される時代性もあってか、マイナス要素が一つでもあれば容赦無くそれを排除する風潮も反映して、衰弱等の理由で伐られているのだとか。再びイチョウが植えられたにせよ、先に挙げた意見がまかり通ったのか、雄の木の方が選ばれているらしいです。名物の今後が気になりますが、日本人の良心と英知に期待することにします。どうかイチョウ並木がこれからも存続しますように!


≪オフィス街のオアシスとして≫

オフィス街には二つの顔が。昼の雑踏と夜の静けさと。人の出入りが激しい分だけその差は如実なのです。朝の通勤ラッシュが収まると今度はさまざな用件で往来する人と車でさしもの長くて広い道幅も埋め尽くされます。歩道でも歩行者の他にも行き交う自転車等が相当多いので、直線的なビルの機能美の群れと建ち並ぶ街路樹に見とれていると、思わぬトラブルを引き起こしかねないので、要注意です。
それはともかく、この御堂筋には他の美の要素も用意されているのです。一見するだけでは目立たないかも知れませんが、内外の彫刻家の力作が要所要所に置かれ、通行人の眼を癒してくれる憩いの場としての役割も果たしてくれています。
盛り込んだ新築まで幅広く存在していて訪れる人の目を楽しませてくれています。キタとミナミの始発点と終着点が鉄道の大ターミナルとデパート、それにかつての水都であった証しである水路に挟まれている点も共通していて、対称的な点だと感じられるのです。
大都市は機能優先であり、それ以外を多くを求めることは難しいかもしれません。その中にあって、緑の帯と人間にしか理解できない芸術作品は忙殺されているビジネスマンをはじめ多くの訪れる人に安らぎを与えてくれているのです。

また御堂筋からはバラの庭園として知られる中之島公園やネオルネッサンス様式の中之島公会堂も近く、昼休みに憩いを求める人たちの姿が多く見られるのです。この他にも幕末から明治にかけて多くの人材を輩出した適塾やかつての豪商たちの愛蔵品を収めた東洋陶磁美術館などの文化施設もあり、多くの彩りを持つ街路でもあるのです。

≪通りの由来となった場所も≫

それだけではありません。きちんと歴史と伝統を教えてくれる神社仏閣も存在しています。政治と宗教について語るのは様々な誤解を生じさせかねないので詳細は省きますが、この御堂筋の名称の元になった宗教施設が二つ、距離を置いてきれいにならんでいます。それと神社も。これらは厳かな雰囲気に包まれ、悩める人たちの心の問題を支えてきた伝統の重さを秘めている聖域とされています。
このように南北を貫く大通りにたくさんの要素が散りばれている場所。それが「御堂筋」なのです。少しの事柄でもこのように考えて歩いてみれば見えてこなかったおおくのことに気づくはず。たくさん見つけてくださいね。御堂筋はいつでも待ってくれていますよ。


≪おすすめの歩き方≫

秋の終わりから冬の始まりの頃がこの御堂筋を訪れるには一番適した時季だと思われます。近年は日没から数時間、御堂筋の多くの区画がイルミネーションで彩られ、幻想的な美しさで訪れる人たちを楽しませてくれています。彫刻の群れも昼とはまた違った趣きを呈してくれるので比べてみるのも一興でしょうか。区画によって微妙に電飾の色合いが異なっているので、身近な方と連れ立って歩くには最適でしょう。ただ、足元には気をつけてください。イチョウの落ち葉は油脂を含んでいるので滑りやすいですからね。
それと、御堂筋には飲食店もありますが、ビジネス街では目立つ存在と言えないので利用されるのなら下調べした方がよいでしょう。ビルの中にある店はわかりにくいですから。それと営業時間と店休日も。地下鉄の駅間も意外と長くて出入り口が見つけづらいかもしれませんからね。
最後に一番の雄梅の歩き方は。長くなりますが、御堂筋をUの字型に往復することですね。そうすることで左右の街並みを堪能できるのです。大きな陸橋がある箇所もありますが、そこも一段ずつ昇ればそう苦にはならないでしょう。
ビジネスの休日に訪れるとビジネス街は人が少なく、歩きやすいと思います。都合のよいように予定を組んでゆっくりと歩いてくださいね。
あなただけの御堂筋。見つけられたら幸いです。